クラス会だより
前回開催地の北海道より遙か遠く南に離れた鹿児島の指宿温泉・白水館において、第7回D−26A・B 合同クラス会が9月16日(日)に開催されました。
折しも大型の台風16号が北上してきているなか一人のキャンセルもなく、北は北海道からそして南は沖縄まで、多くの同期生が集まり総勢60名の大賑わいでした。
16日は、先ず飛行機組と新幹線組が鹿児島中央駅で合流して、観光バスで鹿児島仙厳園(島津氏旧別邸)に向かいました。次に、西郷隆盛が自決した洞穴の横を通って城山に登り、城山観光ホテルで昼食をとりました。お腹が満たされた後、バスの車窓から鹿児島市内観光そして錦江湾の眺望を楽しみながら、南へと会場へ向かいました。(計画していた桜島観光は台風のために中止になったのはチョッピリ残念でした。)指宿に着いて、趣向を凝らした温泉そして台風の風雨を窓越しに感じながらの砂蒸し風呂で、遠来の方は(特に)疲れが癒されたと思います。きっとみんなの想い出の一ページに加わったことと思います。
さて本番の宴会では、参加者全員の近況報告を豪華な料理に舌鼓を打ちながら楽しく聞きました。しかし残念ながら、亡くなられた方々への黙祷もありました。宴会は盛り上がりに盛り上がった勢いで、2次会さらには3次会へと夜遅くまで続きました。「(2年後の次回は)沖縄で会いましょう」を合い言葉に、名残惜しさを引きずりながらも再会を誓って解散しました。
17日は、知覧特攻平和会館から唐船峽公園に向かい、そこで食べたソーメン流しに皆さん大感激でした。唐船峽公園から鹿児島市へ、飛行機と新幹線のそれぞれの帰路につきました。
参考までに、今までのクラス会の軌跡をまとめました。
第1回1995年(六本木) 第2回2000年(表参道)
第3回2003年(横浜) 第4回2005年(恵比寿)
第5回2008年(浦安) 第6回2010年(札幌)
第7回2012年(指宿) 第8回2014年(沖縄予定)
これからも2年ごとの全国各地の合同クラス会で一人でも多くの方々と再会して、話に華を咲かせたいと思うことでした。
10月に入り台風21・22号接近の予報にクラス会の天候が心配されましたが、10月15~16日の両日とも秋晴れの好天に恵まれました。
会場は築地ツインタワーにある東京新阪急ホテル築地にて、出席者は宿泊者16名、宴会のみ7名 計23名でした。
約30年ぶりに出席した方は北海道紋別の岸さん、信州の西牧君、愛知の石坂君と久しぶりに高間君、松原君も参加してくれました。
今回のクラス会は卒業半世紀に当たる記念すべき年でもあり、なんとか思い出に残るような会にしたく世話人の坂井満里さんと春から着々と準備を進めてまいりました。
検討の結果、下記コースに決定・実施いたしました。
第一日目 当ホテル32F(地上120メートル)『明石』(和食会席料理)にてスタート。
開宴前に亡き学友16名を偲んで1分間の黙祷。西牧君の音頭で開宴。32Fから眺める東京ベイエリアのパノラマビューの夜景とおいしい料理は特に女性たちには好評でした。
20:30同ホテルのラウンジに移り二次会を開始。小生が持参した卒業アルバムと学生時代の写真集でさらに盛り上がりました。50年前の自分との対面で驚きと喜びで気分はすっかり学生時代に戻り、あっという間に22:00の閉会時間を迎え、宴会のみの方
々は別れを惜しみながら帰宅の途につきました。
第二日目 明けて16日も日本晴れ。11:30、17名が水上バスの聖路加駅より乗船。約30分間のクルージングで12:00浅草駅下船。その間船の甲板から眺める隅田川ラインの景色は素晴らしく、特に634メートルの東京スカイツリーが碧空に映える姿は圧巻でした。全員大いに満足。
浅草では浅草寺を参拝し、焼肉会席料理『蔵』でランチ。ここでも閉会時間の15:00まで積もる話に花を咲かせ、名残を惜しみながら再会を誓って散会となりました。
クラス会後記
今回出席された全員古希を過ぎた人(後期高齢者3名)とは思えないほど若々しく、また溌剌とされており、大変驚きかつ感動いたしました。
会計に全面協力してくれた坂井満里さんをはじめ、現在闘病中のクラスメートの方の一日も早い快復と、亡き友のご遺族の皆々様方のご多幸をお祈り申し上げます。
D−4Bクラス会は1976年から2012年までの36年間で21回開催されている。この間1993年山梨県石和温泉、2泊目を諏訪湖半にあった昭和薬科大白樺荘に宿泊したときに白樺会と命名した。
2012年の白樺会としては、最後の「傘寿の集い」として開催したが14名の参加で大幅に減少した。
80歳は過渡期であることを感じつつ太陽の昇る景勝で有名な奥琵琶湖の地を選び、神の棲む島と呼ばれている竹生島に上陸して残る人生の安泰を願い。
北琵琶湖畔のホテルで昼食後福井、金沢方面の参加者と別れ、九州、関西、関東方面の参加者と残る琵琶湖の半周をバスで観光して有意義な2日間を過ごした。
次回からは白樺会は解体し、個々人の発案によるクラス会を開催することとし、元気に米寿を迎える決意を固めた。
今まで2年毎に行われていたクラス会でしたが、昨年の東日本大震災のため心中落ち着かないだろうと、一年延期して去る11月18日、前回と同じアクセスに便利な世界貿易センター内の中華料理店で行われました。
前回は25名の参加者がいたのですが、今回は半分の13名の出席でした。この3年間の間に前回に出席した方2名が亡くなり、今回の幹事役の方も病に倒れ、また欠席者の返信の内容もつれあいの追善供養、膝の人工関節手術等々1〜2年の間にめまぐるしく変わる人生を見る気がしました。
会はお天気に恵まれ、窓からは東京スカイツリーも遠望でき、高揚気分で進行しました。
初めに亡くなった方々へ黙祷、そして親分の磯崎貞夫さんと同窓会役員の加藤久子さんから大学や同窓会の現状を伺い、次に各自の近況と親しくしている級友の消息などを話してもらい、その後は雑談でしたが、4年間の時間を共有したもの同士が分かりあえる思いと人生の終盤に進みつつある心境が自然に相まって、若い時に行われたクラス会とは違うなんともいえない良い雰囲気の意義深い一日でした。
参加者の皆さまへ ご満足いただけたでしょうか?
不参加の皆さまへ 次回は1年後に喜寿の会をする予定です。これが最後となるかもしれないのでぜひご参加ください!
クラス会の団結力は強い。既に前回(2008年)オリンピックイヤ−に4年に1度クラス会を開催することを決定している。
今回は卒業30周年記念の節目に当たり、史上最大のクラス会にしようとみんなが燃えた。独自の調査網で同級生140名中120名の所在を確認した。
前夜祭は平成24年10月6日(土)18時よりホテルグレイスリー田町で地方から上京した仲間を中心に32名が集結し、再会を喜び合った。二次会は深夜まで続いた。
卒業30周年記念大クラス会は10月7日(日)東京国際フォーラム内有楽町カフェ&ダイニングで11時受付開始、11時45分記念撮影して12時開宴。総合司会は福田昌暢くんと福島眞貴子さんの実習のペアコンビ。末廣くんの開会の辞の後、合唱部のみなさんによる美しい歌声の校歌を斉唱した。その後、物故者・岩見治くん、西岡寿美代さん、松岡清秀くん、渡部弘幸くんに黙祷を捧げた。次に司会者が出席者を点呼、呼ばれた人は挙手起立して、懐かしい顔1人1人を確認した。そして乾杯、音頭は一番遠くから参加してくれた”“沖縄シスタース゛”仲里すが子さんと砂川厚子さんが担当した。
しばし歓談中に、理事長先生、学長先生から祝電が披露された。13時よりメインイベント、近況報告30秒スピーチが始まった。中年から中高年にさしかかる年代で、親の介護や自身の健康など多くの問題を抱えながらも頑張って生きる姿に拍手が送られた。
14時40分、次回幹事の選出、元木和幸、小野静さん、佐久間敏充くん、密原佳子さんを選出した。次回開催はオリンピックイヤ−の体育の日の日曜日、2016年10月9日㈰12時からと決定した。合言葉は「リオで会いましょう!」15時、次回の再会を誓って末廣くんの万歳三唱で中締めとなった。語り尽き足りない44名はそのまま二次会へ突入し、旧交を深め17時30分お開き。
人生で最も輝いていた時代を共有した仲間達。それから30年の時を経て再会しても、30年前と同じように素敵な輝きを放っていた。その輝きとは人生の重みを増したいぶし銀の輝きだった。昭薬S57卒Aクラスの仲間に幸多かれと祈る
12時より、京王プラザホテルにて開催しました。
30年ぶりのクラスメイトと会えるのは、嬉しいような、怖いような?
でも名前は齢のせいで出てこないけど皆昔のままでした。若干、あららという男子もいたけど、女子はあのころより素敵になっていたりして。
一言スピーチでは、みんな真剣に話に耳を傾けていました
授業では騒がしかったのにねぇ。大人になったのかな? あっという間の4時間半でした。
三次会も有志で繰り出し(20人ぐらい)、新宿の街で盛り上がったそうです。
田村君がヤフーに写真をもうアップしてくれました。カメラウーマン金子さん撮影です。笑えるのでぜひご覧ください。
近況報告は、古川君がまとめてくれました。
ビデオを山崎君に当日急きょ長時間撮影していただきました。
田村君の司会も素晴らしく、東間さんの一本締め、万歳三唱も素敵でした。伊藤さんのキーボードに合わせて、校歌も歌えました。
Bクラスの仲間が助けてくれたので、成功したのだと思います。
次回の幹事も決まりました。楠本さん、間辺さん、竹林君、福田君。Aクラスと合同で3年後です。